美しいという事についてのチラシの裏

美しさ。

何物にも変えがたく、世界で一番素晴らしく大切なもの。というのは大げさか。

ただ美しさというものは、それだけのパワーがある。

 

僕が憧れてきた人間は美しい人ばかりだった。

あの人もあの人もあの人も、思い出せるすべての人間が美しい。

美しい人間に、僕は憧れ、心酔し、模倣し、失敗し。

心を奪われ、日常が手につかなくなる。

今でも思い出して、小一時間頭からいなくなってくれない。

美しさというのは甘美な蜜のようで、それでいて麻薬のようだ。

 

美しい人間は何をしていても絵になる。 

美しい人間がその場にいるだけで、空気は浄化され綺麗になるような気がするし、立っているだけで、なんでもない町並みが額に入れて飾りたくなるような風景になる。

美しい人間は、生きているだけで素晴らしい。

美しい人間は生きているだけで、周りの世界を良くしていく。

美しい事は最上だ。

 

美しさは外見だけの話ではない。

所作や表情、考え方。話し方から言葉の選び方。

 

だいたい美しい人間は共通して、なにをするにしても美しい

外見が美しい人間は、所作や文章が美しい場合が多いし頭も切れる。

逆に一点特化の美しい人間は稀だ。

美しいが何も出来ないボンクラという人間はそういない。

それはなぜか、

美しさは、真実を捻じ曲げるパワーがある。

 

外見が美しいバカがいたとする。

 

Aちゃんは頭悪いけど可愛いな~天然だな~となる。

外見が美しいバカは、外見が美しい天然になる。

しかし、醜いバカはこうはいかない。

Bはバカだな。ブサイクだし。

醜いバカは、ブサイクなバカになる。

 

 

そもそも美しい人間とはなんなのか。

いつから美しい人間なのか。

 

美しさというものは、作り上げるものだからだ。

美しいという人間は、日常から美しさを保つ生活をしている。

意識的か無意識かの違いはあるかもしれないが、美しさというものは積みあがった先に出来るものなのだ。

 

 

ちょっとこれ面白いから、まとめてちゃんと記事にしよう。

構成から考えないとだめだ。途中から何かいてるのかわからなくなってきた。

書きたいことが途中で変わってしまう。

ブログの内容のプロットがいる。

つか語尾の「なのだ」ってなんなんだよ、ふざけんな。