好きという感情はなによりも素晴らしく尊い強い。そして暴力的だ。

好きという感情は何よりも素晴らしく尊くて強い。そして暴力的だ

いつからか(具体的には思い当たる節はある。

好きという感覚や言葉を、避けるようになった。

自分の中でうまく処理できないのか、存在が何なのかわからない。

ということがあったので箇条書きに近い形で書きなぐりました(前書き

 

 

好き、という感覚を、閉じ込めて、目の前のものに、集中して忘れようとする。

好き、という感覚は消えることはなく、心の奥底にずっと佇んでいる。

どれだけ目を背けてもずっと太陽のような存在でいるため、どれだけ忘れようと努力してもずっと存在し続ける。

それを愛してしまったから。ずっと心に残るのだ。

 

もっと自分に正直になっていいんだ。

このありきたりな言葉ではなにも表すことは出来ないけれど、

いつか、この気持ちをうまく説明できるようになりたい。

僕はもっと自分に正直に生きるのだ。

それは、愛、以外のなにものでもないのだから。

 

好きを閉じ込めてしまうのは、

とても、怖くて怖くて怖い事だ。

自分自身を殺す行為に他ならない。

あなたは自分の好きな物に対して、好きと言っていいんだ。

好きなものは、あなたにとって大事なものだし、必要なものなんだ。

世間の目、社会のルール、日本の教育。

 

自分の好きなもの、なんでもいいけれど、

それに自信をもって好きだって言える。そんな人生が一番素晴らしい。

僕は好きなものはやっぱりどんなに逃げても好きだし、目を背けても好きだし、

もうその好きには僕の些細な抵抗はかなわない。

好きで好きで仕方がない。

 

僕の中の好きという感情は何よりも、なによりも強いのだ。

蓋をしても目を背けても好きで好きで強く光って仕方ない。

抗えない。逃げることはできない。

 

 好きは絶対正義だ。

神々しすぎて誰も逆らえはしないのだ。

 

 

いつからか、自分がなにをしているのかわからなくなっている。

なにかをしている。が、その感覚はわからない。

実感がない。

演劇という、創作活動をしている。

あるときは自分の人生は演劇だと思っていた。と、思うほど、僕の中で演劇に占める比重が大きかったし、距離が近いものだった。

 

が、いまはどうだ。

なにもわからない。演劇がなんなのかもわからない。

何をするべきなのか、なにをしたらいいのか。やる意味、理由はあるのか。

誰に届けるべきなのか。面白いとはなんなのか。

わからない事だらけだ。

いつのまにか、なにもわからなくなっている。

 

ドローイングという選択肢

自分の感覚で、言葉や形をつむいでいく感覚。

誰かとではない。正解を求めるためでもない。自分との対話。

あれをしたい、これをしたい。

そう思ったら、どうしたらそれを形に出来るか、丁寧に細部まで、考える

ドローイングでいい。今感じた事をやりながら形にしていくんだ。

繊細に細部にこだわって。