あと、少しで何かひらめきそうな気がするんだよ。ピースが足りていないというか。

なにかこう、心から納得できそうな答えがでてくる

そんな気がする

 

生き方

なぜブログを選んだのか。

コスパがいいから。結局これにつきる。

 

なにか変われるきっかけがほしい。のだろうか。

なにがしっくりきていないんだろう

 

でも今日は逃げていたお金関係、役所関係をすすめられた、その点は自分をほめたい

うううん

駄文

ぜんぜんブログ書いてねえじゃねえかよ!!!

という咆哮からこんにちは、たちつて太郎です。小池です。元右角81です。って名前もさだまらねえかよ!!

 

ブログ書かなきゃな。でも装丁が。タイトルが。写真が。なかなか用意できないしな。文章だってうまく組み立てられないし。あああ。なんて自分に言い訳ばかりして後回しにしていたんですが、もうそんな事いってられない時期に差し迫ってきました。なんというか、自分はもっと出来ると思っていたんですよね。やるときはやるやつだと。めちゃくちゃ面白いブログも作れるし、みんなの人気者にもなれるし、みんなを助けて率先してみんなをひっぱって。(ここ具体性皆無で笑える)でも、そんな事をまったくやれていない現状があって。考えなしに投資したら暴落にあって現状20万マイナスになって(恋人には言えずじまいでいる)まあこれに関しては完全に脳死してたからだけど、下がりまくって20万だから、これからあがると思っているので、とりあえず現状はに話なんだけど(話がそれた)

 

とかなんとかいってますけど、正直自分が情けなくて仕方ない。

理由をつけてなにも出来ない自分が恨めしい。すぐに成長するわけがないし、自分の意思によって行動は決まる。

他人に目をむけて、自分をみないようにしていてもなんにもらない。

まずは自分が奮起するしかない。奮起するしか道はないんだよ。

 

文章なんてかけねえよ~~~って思ってたけど、じゃあ今書いてるのなんだよって話で。きれいな言葉が書けねえよ~ってんだったら、人に2倍かけてかけばいいんだよ。

いいか、お前があまっちょろいのは、今まで逃げてきたからだ。

逃げてきた自覚はあるんだろ。どこにいたって、お前はお前だし、

変にかっこつけたって、何かが変わるわけではない。

 

ポエムしかかけねえなら、とりあえずポエムかいてろよくそやろ。

いいか、まずはなんでもいいから、前に進むことなんだ。

なんでもいいからまず自分が動く自分がうごくしかないんだよ!!!!

 

29歳にして高校生中学生みたいな事やってるなんてくそだろ、まじうおおお

 

なんにも自己分析できてないし、計画的に物事考えず進めることもなく、

他人に読ませる文字もかけていない。

 

どうにもこうにも、自分は変えられないから、

変える前に、自分を受け入れろ

そして、やるべきことに向き合って、やるしかないんだよ!!くそ!

 

やることやるぞ

 

 

 

ずっとずっとずっと好きだったものに終わりを告げた

今日ずっとずっとずっと大好きだったものに終わりを告げた。

ここ何年も心を捉えて離さなかったものだ。それを手放した。

ここ数回はどうにも上手くいかなくてしんどさしかなかった。

今でもやっぱり大好きだけれど、自分で感情をコントロール出来なかったし、どうしても上手く行うことが出来なくなってしまったので、ある意味ほっとしている。

親孝行も出来た。

 

大好きで心を縛っていた者を手放した。

悲しくて泣いてしまったが、明日からこの呪縛から徐々に抜け出していくだろう。

本当に長い間ありがとう。

 

ありがとう。ありがとう。感謝しかない。

手放したと言ってもすぐになくなる訳ではないようなので、

この心で渦巻く様々な感情は大事に身に刻みたいと思う。

 

 

 

好きという感情はなによりも素晴らしく尊い強い。そして暴力的だ。

好きという感情は何よりも素晴らしく尊くて強い。そして暴力的だ

いつからか(具体的には思い当たる節はある。

好きという感覚や言葉を、避けるようになった。

自分の中でうまく処理できないのか、存在が何なのかわからない。

ということがあったので箇条書きに近い形で書きなぐりました(前書き

 

 

好き、という感覚を、閉じ込めて、目の前のものに、集中して忘れようとする。

好き、という感覚は消えることはなく、心の奥底にずっと佇んでいる。

どれだけ目を背けてもずっと太陽のような存在でいるため、どれだけ忘れようと努力してもずっと存在し続ける。

それを愛してしまったから。ずっと心に残るのだ。

 

もっと自分に正直になっていいんだ。

このありきたりな言葉ではなにも表すことは出来ないけれど、

いつか、この気持ちをうまく説明できるようになりたい。

僕はもっと自分に正直に生きるのだ。

それは、愛、以外のなにものでもないのだから。

 

好きを閉じ込めてしまうのは、

とても、怖くて怖くて怖い事だ。

自分自身を殺す行為に他ならない。

あなたは自分の好きな物に対して、好きと言っていいんだ。

好きなものは、あなたにとって大事なものだし、必要なものなんだ。

世間の目、社会のルール、日本の教育。

 

自分の好きなもの、なんでもいいけれど、

それに自信をもって好きだって言える。そんな人生が一番素晴らしい。

僕は好きなものはやっぱりどんなに逃げても好きだし、目を背けても好きだし、

もうその好きには僕の些細な抵抗はかなわない。

好きで好きで仕方がない。

 

僕の中の好きという感情は何よりも、なによりも強いのだ。

蓋をしても目を背けても好きで好きで強く光って仕方ない。

抗えない。逃げることはできない。

 

 好きは絶対正義だ。

神々しすぎて誰も逆らえはしないのだ。

 

 

いつからか、自分がなにをしているのかわからなくなっている。

なにかをしている。が、その感覚はわからない。

実感がない。

演劇という、創作活動をしている。

あるときは自分の人生は演劇だと思っていた。と、思うほど、僕の中で演劇に占める比重が大きかったし、距離が近いものだった。

 

が、いまはどうだ。

なにもわからない。演劇がなんなのかもわからない。

何をするべきなのか、なにをしたらいいのか。やる意味、理由はあるのか。

誰に届けるべきなのか。面白いとはなんなのか。

わからない事だらけだ。

いつのまにか、なにもわからなくなっている。

 

ドローイングという選択肢

自分の感覚で、言葉や形をつむいでいく感覚。

誰かとではない。正解を求めるためでもない。自分との対話。

あれをしたい、これをしたい。

そう思ったら、どうしたらそれを形に出来るか、丁寧に細部まで、考える

ドローイングでいい。今感じた事をやりながら形にしていくんだ。

繊細に細部にこだわって。

 

 

虫のような矮小な心臓

仕事をしているとふと心が苦しくなる時がある。

高校生からバイトなどで働くようになって14年。この胸の苦しみは、働いている人間なら誰でも持っているものだと思っていた。

ある待ち帰り専門のお好み焼き屋で働いていた時の話。

そこは駅そばの繁盛店で、叱るではなく怒鳴るタイプの店長が店を取り仕切っていた。

 

このお店は割引セールをしていて、同じ商品でも毎日値段が違い一つ一つ手入力するタイプのレジだった。

ある時レジ打ちをしていると、隣から怒声が聞こえた。

「お前、なんで今そんな操作したんや!値段違うやろ」

どうやら、自分が値段を間違えて操作してしまっていたらしい。

しきりに「なぜやった。答えろ!」と怒鳴る店長。

僕は声を出すことも出来ずその場に立ち尽くしてしまった。

 

僕は店長の隣で作業するときは常に店長の事を意識し、何か気に障ることをしないだろうか。そのことばかりを意識しながら仕事をする。

もちろん、満足に自分の仕事ができるわけもなく、当たり前のようにミスをする。

募る不満に、溜まる恐れ。

もう最終的には自分が何をやっているのか、もう考えることができずただただ怯えるだけだった。

そしてそんな経験から自分はダメなやつなんだ。と、自ら烙印を押していく。

 

自分に自信がない人間は、上記のように、

自分はダメなヤツなんだ烙印を自ら押していく。

他者にどれだけ、その烙印を押されても、自ら押さなければ効果を発揮しない烙印だ。

 

自分がダメなやつなんだという烙印を押し捲っている僕は今年で30歳になる。

ただそんな僕でも、何をやってもうまくいかないダメな人間だ。という事にはならず、

なんかそれなりにうまくいくことがある。

 

簡単な言葉で言うと、向き不向きだ。

ダメなやつという烙印を自分に押す前に、その場から退場する。

そして次の場所で、挑戦してみる。

ダメなら次、ダメなら次。

用は環境、用は場所。そして人。

 

自分で自分の価値を低くしている。

そしてそれは、他者や場所との折り合いがつかないだけで、

勝手にダメだと判断している。

人には適切な居場所がある。

 

平等を叩き込む日本の教育が合わないだけなのだ。

自分が間違っているんじゃない。合わないだけだ。

そう心に言い聞かせている。し、実際そうだと思うのだ。

 

他人からの評価

他人からの評価が一番の心の喜びだと感じる。

と思っていた。

果たしてそうだろうか。

 

確かに他人に感謝されると心が弾む。が、それを目的に自分は頑張ることができるか?

他人から感謝されなかった場合もある。

思い通りに行かないことも大いにある。

そのリスクを踏まえたうえで人にほめられることが最上の喜びか?

 

演劇やっている時なにが一番うれしかった?

褒められる。

開放できる。

受け入れられる。

 

そう、自分を開放し、それを認められたからうれしかったのだ。

そこに他者は褒めるだけの存在としている為、大事だがキーじゃない。

 

受け入れられるという事が大事なのだ。

自分を認めてもらうこと=自分は自分でいいといってもらえること。

自己肯定を自分で出来ないから他人にしてもらっている。

これが他者から褒められる喜びの正体なのではないか。

 

と、言うことはだ。

自己肯定ができるようになれば、他者から褒められる事を求める必要もないのではないか。

様は自信がなかったからみとめられたかった。

ただの寂しがりや。寂しくて泣いていた赤ん坊だったのだ僕は。

 

そう考えると、他者から褒められることが自分の最上の喜びでないことがわかる。

では自分の最上の喜びとは、いったいなんだろう。

 

今後、考えていく題材が増えた。

少しずつ紐解いていこう

ただの日記

毎日書こう日記二日目。

どうやら冷蔵庫が壊れたらしい。

独特のにおいを撒き散らし、完全に冷えなくなっている。

よく考えたらおかしな話で、

外のほうが寒いんだから、外に出せばいいんだけど、少しの望みで冷蔵庫がまた冷たくなるんじゃないかって希望をもっているからまた電源をつける。

僕らは、便利に侵食されてしまって工夫して乗り切るという概念をなくしてしまっている。

 

明日、仕事が終わって家に帰って身支度をしたら滋賀に旅立つ。

ブロガーのきしころさんという方のご自宅にお邪魔して雪山で狩猟の体験をしてくる。

狩猟をしながら、パソコンをしながら生きている。

僕の憧れの行き方をしている人だ。

 

きっと、恐ろしく、怖い人なんだろう。

僕が尊敬してやまない人は皆そろって恐ろしい人ばかりなのだ。

きしころさんもきっと本気な人だと思う。そういう人は皆恐ろしいのだ。

本気な人は、命を使って生きている。

生きる。という事に真摯な人だ。

僕は、今、生きながら死んでいる状態。真摯にまじめに生きていない。

本気ではない。

そういうやつはうすっぺらく軽い。怖くないのだ。

 

ぼりさんという方に人生相談をしていただいた。

携帯でもメモを取っていたせいで、電話が電池切れで切れたタイミングですべてなくなってしまった。

今思えば、相談の軸を決めずに話してしまったため困惑させてしまったように思う。

そして話している内容が、聞かれた内容と違うことを話していた(これは話しているときから気づいてはいた。

どうやら僕は脳の整理が出来ていないようだ。

それでも、いやな顔せずお話をきいてくれたぼりさんはとても優しい方だ。

 

とりあえず人生において、自分はインプットしかしておらず、何も発信していないことを、わかちゃいたがありありと自覚をした。

この文字を吐き出す行為に意味があるのかはわからないが、吐き出さないよりはずっといいし、これから形にするためにまずは慣れる事が必要なのだ。

 

特にお話をいただいて自分の中にない考えだったのは、

目的と手段

という話。

お金持ちになりたい。花屋さんになりたい。有名になりたい。もてたい。

これ、全部手段なのだ。

その先、それをなしえてどうしたいかを考えないと、目的と手段がごっちゃになっちゃうからどうにもならないぞ。ということだ。ほんとだぞ。